ヘビー級ボクサー高橋良輔 公式サイト
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2004年3月6日 高橋良輔のジムワーク

名誉会長
沢木耕太郎の「一瞬の夏」のなかに次のような記述がある。
アメリカでは、僅かな例外を除けば、ヘビー級以外はほとんど商売にならないといわれている。
たとえそれが世界戦でも事情は大して変わらない。
アメリカ人にとってボクシングとは、まずヘビー級なのだ。

アメリカ人にとってボクシングはヘビー級。だが日本ではヘビー級のランクも王者も存在しない。
世界では身長190センチ以上、 体重が110キロ以上もあるヘビー級の選手は珍しくない。

良輔はなぜヘビー級にこだわるのか?

「僕の原点はマイク・タイソンです。彼、身長178センチくらいだと思うんです。僕より小さいんですよ。
その彼が、カミソリのようなスピードと鋼鉄のようなパンチで、ものすごくでっかい相手を次々とリングに沈めてゆく。
ヘビー級ボクシングの醍醐味です。テレビで見ていて身体がシビレました。胸が熱くなりました。その時、俺にはこれしかない、と思ったんです。
和製タイソンをめざしているのではありません。ホンモノのタイソン後継者をめざしているんですよ」(少なくとも気持ちはそうです!)
タイソンのポスターを背景に
サンドバッグ

金子ボクシングジム。

四半世紀前、「一瞬の夏」の主人公、一度は挫折した元東洋ミドル級王者カシアス内藤が最後のカムバックに賭けて、トレーニングに汗を流した名門ジムである。

下北沢・小田急線の線路わき。3階建てのビル。
金子ジム
金子ジム 今、日本最強のヘビー級ボクサー、高橋良輔が、 この金子ジムで、東洋太平洋(OPBF)ヘビー級王者を 目指し、激しくジムワークを続けている。
OPBFヘビー級第5位の良輔は身長183センチ、体重は約95キロ。 ジムへ
良輔は、ほとんど毎日、金子ジムで担当トレーナーの飯田勇司さんと一緒に2時間近い練習メニューをこなす。 階段を上り、2階のトレーニング・ジムでの挨拶。
階段 挨拶
縄跳び 縄跳び 縄跳び
シャドウボクシング。 シャドウボクシング シャドウボクシング  
  シャドウボクシング シャドウボクシング 仮想の相手をイメージし、テクニックを磨く。
飯田さんは、金子ジムのチーフトレーナー。
高校のボクシング部時代、アマチュア関東地区の2位を獲得した。
その後、金子ジムからプロデビュー。新人王の決勝戦まで戦った。
金子でのトレーナーのキャリアは10年近くになる。
飯田トレーナー
飯田トレーナー 飯田トレーナー
この日は、実施しなかったが、シャドウのあとスパーリングをすることもある。ヘッドギアをつけて、 試合に近い実戦形式で打ち合い、総合的な技術を磨く。
次はミット打ち。
ミット打ち ミット打ち
飯田さんが相手だ。 パンチ、スピード、フットワークを身につける。
ミット打ち ミット打ち
ミットを打つ大きな音が響く。時々、飯田さんが反動で後ろに飛ばされる。

飯田さん、手が痛くないですか?

「痛くはないけど、ミットを構える位置を間違うと 肘を痛めます。なんせヘビー級・良輔のパンチは重いですから」
ミット打ち
サンドバッグ サンドバッグ。

パンチを打ち込むものすごい音。サンドバッグが可哀想と思えるほどの迫力。
ダブルエンド・パンチングボール。 ダブルエンド・パンチングボール ダブルエンド・パンチングボール  
  ダブルエンド・パンチングボール ダブルエンド・パンチングボール フットワークを使い、多彩なリズムで打ちまくる。
シングル・パンチングボール シングル・パンチングボール
シングル・パンチングボール。目にも止まらぬスピードパンチを磨く。ドラムを叩いているような大音響が響き渡る。
トレーニング風景 トレーニング風景
トレーニング風景 良輔の顔面から滴となっておちる汗。
3分の激しいトレーニング、そして1分の休み。
リングに上がっているようなゴングの時の刻みとともに ジムワークは続く。
飯田さん、良輔の強さは?
「スピードとキレですね。この大きな体ですから、ものすごい武器です」
彼の決め手は?
「これまでは、右のショート・カウンターです」
今後の課題は?
「コンビネーションの向上です。上下の打ち分け、 打った後、頭を振って、次の攻撃に動作をつなげる。一つで終わらせず次々と多彩な攻撃につながせることです」
トレーニング風景
  良輔  
  どんな選手になってもらいたいですか?
「今、世間では「K-1」や「プライド」といった格闘技が流行っていますが、やはりボクシングは歴史のあるスポーツです。 そんなスポーツで日本人が世界を狙える…しかもヘビー級で世界を狙えるとしたらこんなに興奮することはありません。 夢話かもしれませんが、そんな大舞台を目指せるような選手になってもらいたいですね。」
 
       
金子ジムの歴史
金子ジムは、第2代東洋フェザー級チャンピオン・金子繁治さんが1964年に現在の下北沢の地に開いた。 ジムでは大会長と呼ばれている金子名誉会長は、戦績・71戦54勝(33KO)10敗1分6EX。1954年12月、 初代王者ラリー・バターン(比国)を4回KOで下しタイトル獲得。6度防衛の後、網膜剥離のため引退した。
魅惑のハードパンチャーで、その強さは一世を風靡した。これまでに10人近い、日本あるいは東洋の王者を輩出している。
名誉会長の肖像 名誉会長と
会長、マネージャーと 『現会長、弟の賢司マネージャーと3人で。』
名誉会長の息子さんである金子健太郎さんは、ジムの経営を引き継ぎ、またボクシング業界の発展に力を注いでいる。
佳樹くん 佳樹くんと
5歳のボクサー、佳樹君。賢司マネージャーの息子さんで、昨年の11月以来、毎日のように練習に通っている。
良輔さんを撮影中に練習を終えて帰ってしまったが、若い女性の練習生の姿もあった。
(文と写真・山口明雄、構成・竹内弥生)  
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