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| オケロは名古屋の緑ジムに所属するウガンダ出身の在日ボクサー。2001年3月31日にOPBFヘビー級の王者に就き、4年間で7回の防衛戦をすべてKOで制してきた。同日の興業主催者であるファイティング原田ジムの原田政彦会長は「まだまだ潜在能力を秘めた実力の計り知れない選手」と評した。別名「怪物」。もはや東洋太平洋には、まともに戦える相手がいないと、世界進出が噂となっている。8度目の防衛戦勝利で、戦歴を20戦17勝(16KO)3敗とした。 |
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体格の差は大きかった。身長183センチ、体重93キロの良輔に対して、オケロは、身長で10センチ、体重で約16キロ上回る。王者の圧力、パンチの重さ、キレの良さは圧倒的だった。良輔は、足を使い、時折ボディーに鋭いパンチを浴びせたが、3回に、左目上を切り、右ストレート、左フックでロープダウンを取られた。対戦成績は18戦13勝(7KO)4敗1分となった。 |
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| 後楽園ホールには高橋良輔ファンクラブの竹内弥生事務局長の仕切で、700枚の青色の応援うちわが乱舞した。紺色に白字で「良輔」と染め抜いたTシャツを着たファンクラブの会員だけではなく、まるで観客全員が良輔を応援しているかのような大声援が轟き、ホールをゆさぶった。しかし、3回、ため息がホールを満たした。
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| 初代日本ヘビー級王座決定戦が行われたのは1957年のことだ。その後、挑戦者が現れず、ヘビー級タイトルは日本から消滅している。OPBFではあるが、約半世紀ぶりの日本人のヘビー級タイトル挑戦は、ボクシングファンとマスコミの大きな関心を呼んだ。ボクシング雑誌やスポーツ紙はもとより、読売新聞、日本経済新聞、週刊新潮などが、試合前に大きな記事を掲載した。試合結果も、見出しはすべて、「高橋、初挑戦は3回KO負け…東洋太平洋ヘビー級」(読売)のように、良輔が主語。 |
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良輔は試合後満員の観客に深々と頭を下げた。直後の記者会見でこう語った。「相手の一発一発が重たくて正確で、もらうと効いてしまった。完敗。感動も何もないです」。しかし、同時にこうも言っている。「自分でも意外なほど、相手のパンチはよく見えていた」 |
| オケロとはずっと以前にスパーリングで顔を合わせ、KOされている。ヘッドギアと衝撃が少ない大きなグラブを使って、である。歴代の対戦者を次々とKOして行くオケロの試合のビデオは何度も見た。「顎の骨を打ち砕かれるのではないか、生きて帰れるか…」という恐怖が、時々心をかすめた。100キロ級の鋼のような肉体が繰り出す超重量パンチ、稲妻のスピード、破裂する激打音、セコンド陣の怒声、飛び散る血と汗。両選手にとって、「まともに一発食らったら、あの世行き」は、冗談話ではない。試合を実際に見た人は深くうなずくことだろう。 |
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| 一夜明けて、良輔はファンクラブ会員向けの「良輔ブログ」にこう書いている。「悔しい!の一言です。ハッキリ言ってほとんど勝てない相手だと、最初から分かっていました。でも悔しいんです。」また、こうも言っている。「最近は連勝していたので、負けることが怖かった。もう、負けは怖くありません」
「自分でも意外なほど、パンチはよく見えていた」。この事実が良輔に「悔しい !」、「もう、怖くありません。」と言わせているに違いない。相手のパンチが見えれば、防御できる。カウンターをたたき込める。良輔は、いきなりの、超怒級強豪との戦いに破れはしたが、ボクサーとして何よりも大事なものを手に入れた。それは、自分の力と才能にたいする揺るぎない自信である。ブログに書いた。「闘志は衰えていません。目の上の傷が治ったら、すぐに練習を再開します。自分に磨きをかけます。あきらめません。日本のヘビー級史を塗り替えます。再び王座を目指して戦います
!」日本人初のOPBF最重量級王者のタイトル獲得。不可能を可能にしようとする良輔の挑戦は続く。 |